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大したことは書きません

修身教授録(2)【第2講 人間と生まれて】

要約:私たちはなぜ、人間として生を受けることができたのか、人は普段考えることは少ない。だが、人生の根本目標が、人間として生を受けたことの意義を自覚して、これを実現することに他ならないとすれば、この問題について考えることは避けられない。私たちが人間として生まれたことは、特別な権利や資格に基づくものではなく、ただ自己を超えた大いなる力によるものである。それゆえ、人間として生まれたことに感謝し、そのことを自覚して生きる必要がある。

 

著者は、なぜ私たちが人間として生を受けることができたのかと学生に問いかける。

 

われわれ人間にとって、人生の根本目標は、結局は人として生をこの世にうけたことの真の意義を自覚して、これを実現する以外にない。(p17)

 

そのためには、冒頭の問いについて考えなければならないという。 

 

そもそもわれわれのうち、果たして何人が自分は人間として生まれるのが当然だと言い得るような特別な権利や資格を持っているものがあるでしょうか。(p18)

 

確かに、数ある生物(動物や、植物も含む)の中で、なぜ私たちが人間として生まれてきたのかということについては、理由付けは不可能であるように思う。前世の業(カルマ)に理由を求めることもできるかもしれないが、そうした途端、私たちの生は、来世の利益のために<いま・ここ・わたし>を耐え忍ぶというものになってしまうのではないだろうか。あえて言うならば「偶然」ないしは「奇跡」であろう。

 

しかし、著者が主語を「われわれ」(複数形)としているのが気になる。なぜ「われ」(単数形)ではないのか。単に集団に対する講義の中での語りだからであろうか。

 

「われわれ」について語るのは、思いの外難しい。いくら「われわれ」について語ろうとしても、そこから抜け落ちてしまう人々は一定数(あるいはただ一人)存在しているからだ。また、「われわれ」について語るときには、その対極に「あいつら」を想定していることが多い。そして、多くの場合、「あいつら」は「われわれ」よりも劣った存在として見られることになるのである。昨今で言えば、「優れた日本人」に対し、「劣った朝鮮人」「劣った中国人」という図式を想定して語ることで、本来差別的であることをさも合理的な理由があるかのように、区別にすり替えていく。「差別じゃないよ、区別だよ」というとき、大抵そこで語られている内容は差別的である。

 

人間性、というものがあるのなら、それについて思考し、語るのは人間である。いや、「われわれ」人間である、といった方が適切だろう。この思考法、語りの方法は、優れた人間/劣った人間、また、人間/非人間という不平等を設けた上で行われることになる。

 

アレントは、古代ギリシアにおいて、成人男性は公的世界(ポリス)で政治的活動を行う人間であり、女性や奴隷は私的世界(家族)で労働に従事するヒトであった。また、近代的市民国家の建設において、初期段階で市民とされたのは常に成人男性だった。現代でも、「男性は理性的に物事を考えるから公の場で活躍し、女性は感情的だから公の場ではなく家にいろ」という論を展開する保守派は多い。中には、女性の公への進出は朝鮮・中国による陰謀だ、などという極論まで現れる始末だ。

 

「男性は理性的に物事を考えるから公の場で活躍し、女性は感情的だから公の場ではなく家にいろ」が区別に見えるのであれば、少し立ち止まって考えて欲しい。理性的/感情的という区別に、男性/女性という区別を当てはめることは適切だろうか。カテゴリーの選択は、明らかに恣意的である。さらには、男性/女性という生物学的な性差でさえも社会的に構築されたものだとする論も、バトラーなどによって論じられている。もはや、性に何か本性のようなものを帰属させる思考は通用しないように思う。

 

自分は人間として生まれるべきなんらの功徳も積んでいないのに、今、こうして牛馬や犬猫とならないで、ここに人身として生をうけ得たことの辱さよ! という感慨があってこそ、初めて人生も真に厳粛となるのではないでしょうか。(p21)

 

人間として生まれたことに感謝できる人が、今の世の中にどれだけいるだろうか。自分や、われわれを愛することができなくなった現代人について、スティグレールは論じている。人間であることへの感謝を強要するのではなく、感謝ができるような環境を、社会を、国を作っていくのが大人の務めではないだろうか。愛国心についても言える気がするが、愛は強要できない。

 

引用部分では、主語が「自分」となっている。道徳(修身)は、外部から与えられる道徳心ではなく、内なる道徳心を育むものではないだろうか。それならば、主語は「われ」「自分」であるのがいいと思うのだ。

 

 

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